究極は「執着を取る事」
- 2015/4/16
- ブログ
私はいろんな場所へ行ってご供養することがあります。
このブログに掲載していないご供養もしているので毎日なんらかのご供養をしています。
いつも思う事は、人間の究極として最後の最後は「執着を取る」ことだと感じます。
地縛霊になっている人、憑依している人、生霊、あらゆる現象は「執着」になります。
いろいろな執着がありますが、これを最後に手放して離脱してくれます。
この世はいろんな執着を取る訓練場になっていますから、異性に振られたとか、仕事をクビになったとか、不条理がなことがたくさん起こりますが、いかに悟って、気持ちを切り替えて次の人生を歩むかということになります。
これができませんと、行き過ぎる思いになり執着となりますから、自分が死んだときもなかなか次の転生ができません。
その様な人たちを悟して浄霊しています。
浄霊して転生のサイクルに戻しますと、次の転生はちゃんと本来の魂のグループに戻るシステムになっています。
戻れませんと魂の修行ができずに遅れをとるからです。
この地球にそのような苦しまれている人を浄霊するのも陰の仕事の一つなのです。